2008年02月21日
高麗(こうらい)は、王建(太祖)が建てた朝鮮半島の国(918年 - 1392年)。
都は開城。
朝鮮をさすKorea(コリア)の語は、漢字表記「高麗(かうらい)」の16?17世紀における日本語音([k?:rai]ないし[ko:rai])が、オランダ人などによって欧州に伝わったものである。[要出典]昔の日本や今の中国では一部で高句麗を「高麗」と記し、六国史などでは渤海を「高麗」と記すため、区別上「王氏高麗」ということもある。
日本では戦時中の「尋常小学校」の「国史」の教科書では、高句麗が「高麗」と書かれてふりがなが「こま」、元寇のときの高麗は漢字が「高麗」でふりがなが「かうらい」という表記法だった。今の中国でも高句麗を「高麗(Gāolí)」、高麗を「朝鮮(Cháoxiān)」と呼ぶ人が一部でいる。
建国
新羅は朝鮮半島を統一するし、仏教文化を成立しただけでなく、民衆の生活も豊かになったし国はかなり安定したが8世紀末から9世紀まで王位継承戦争が起きるし地方あちこちで農民の反乱が起きて新羅政府の命令は遠い地方には無視された。この乱れてしまった政局は真聖女王の時、激しくなって結局地方の有力な豪族たちによって新羅は分裂された。892年、半島西南部に甄萱が後百済を建ったし、901年には弓裔によって後高句麗が建国された。この時代を後三国時代と呼ぶ。王建はこの後高句麗の将軍であった。王建は後百済との戦争で勝ったことが多かったし立派な人格で群臣たちの信望が厚かった。しかし弓裔に嫌われて殺されるかも知れないこともあった。弓裔は宮を再建して民衆の不満が高まった。そして自分を弥勒菩薩と呼ばせて観心法で人の心を見られると言いながら反対派を粛清した。王建は弓裔の暴政に政変を起こして918年高麗を建った。後三国時代は高麗と後百済の戦争が続き平和はなさそうだと思われたが935年後百済の王の甄萱が4男に王位を継がせようとしたが長男の神劍(後百済の2代王である。)が反乱を起こして甄萱を寺院に監禁させ、甄萱は息子によって王位を奪われた。結局、甄萱は935年3月、後百済から逃げ出して高麗に亡命した。王建は甄萱を国賓で迎えた。同年、新羅は自ら降伏したし高麗は936年に後百済を滅亡させ、朝鮮半島は高麗によって統一された。
(以上、ウィキペディアより引用)
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