2009年9月 8日
トーマス・エジソンの偉業
エジソンは1847年2月11日にミラン(オハイオ州)で父サミュエル・オグデンJr.(1804年 - 1896年)と母ナンシー・エリオット(1810年 - 1871年)の間に生まれた。エジソンは7番目の子供で、7歳の時に家族はポートヒューロン(ミシガン州)に移った。
小学校に入学するも、教師と馬が合わず中退した。当時の逸話としては、算数の授業中には「1+1=2」と教えられても鵜呑みにする事が出来ず、「1個の粘土と1個の粘土を合わせたら、大きな1個の粘土なのになぜ2個なの?」と質問したり、国語の授業中にも、「A(エー)はどうしてP(ピー)と呼ばないの?」と質問するといった具合で、授業中には事あるごとに「なぜ?」を連発していたという。
その様な好奇心は学校内に止まらず、「なぜ物は燃えるのか」という事を知りたいと思い立ち、藁を燃やしていたところ、自宅の納屋を全焼させてしまった事もあった。これらの事が重なった挙句、最終的には担任の先生から「君の頭はどうかしてる」と吐き捨てられ、校長からも入学から僅か3ヶ月で退学を勧められたという。
学校だけではなく、父親からも見放されたエジソンは、勉強は小学校の教師であった母親に教わった。母親は教育熱心だったらしく、エジソンは家の地下室に様々な化学薬品を揃えてもらっていた。
発明王
この様な少年時代を送ったが、母親も手伝いその後発明を複数行い、1877年に蓄音機の実用化(商品化)で名声を獲得。ニュージャージー州にメンロパーク研究室を設立し、集まった人材を発明集団として機能させるべく、マネジメント面で辣腕を振るった。後年の伝記ではこれを「天才の集合」 (Collective Genius) と呼んでいる。
研究所で電話、レコードプレーヤー、電気鉄道、鉱石分離符、電灯照明等を矢継ぎ早に商品化した。なかでも注力したのは白熱電球であり、数多い先行の白熱電球を実用的に改良した。(彼は白熱電球の名称をゾロアスター教の光と英知の神、アフラ・マズダーから引用し、「マズダ」と名付けている。)この特許の有効性について訴訟が起こり、裁判で特許 (番号223,898) が有効と判定されるまでに時間がかかった。一方で白熱電球の売り込みの為の合弁会社を成立。直流の電力を供給するシステムを確立させる。
1887年にウェストオレンジ研究室に移る。ここでは動画撮影機キネトグラフを発明した。(実は彼の部下であるウィリアム・ディッカーソンが発明。)
鉱山経営等にも手を出すが失敗。高齢となって会社経営からは身を引くが、研究所に篭り死者との交信の実験を続ける。1914年12月に研究所が火事で全焼し約200万ドルの損害を蒙ったが、臆せずその後も死者との交信についての研究を続けた。1931年10月18日、84歳でその生涯を終えた。
『ウィキペディア(Wikipedia)』引用
電話機・蓄音機をなど数多くの発明をしました。
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